赤木圭一郎 霧笛が俺を呼んでいる
赤木圭一郎 霧笛が俺を呼んでいる
赤木圭一郎 霧笛が俺を呼んでいる
赤木圭一郎 激流に生きる男
赤木圭一郎 幌馬車は行く
赤木圭一郎 海の情事に賭けろ
赤木圭一郎 波止場ねっと
赤木圭一郎
赤木圭一郎 清水の暴れん坊
赤木圭一郎と妹
赤木圭一郎 激流に生きる男
赤木圭一郎と芦川いずみ
赤木圭一郎 激流に生きる男
赤木圭一郎と芦川いずみ
赤木圭一郎 俺の血が騒ぐ
赤木圭一郎 抜く射ちの竜
赤木圭一郎 俺の血が騒ぐ

赤木圭一郎

波止場ねっと
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更新:2013年6月30日 20時18分
高校二年生のとき、赤木圭一郎主演の「霧笛が俺を呼んでいる」 を見て、商船服姿に憧れ、俺も船員になろうと決心。
またラストシーンの赤木圭一郎と芦川いづみとの別れのシーンに、俺も将来素敵な女性とあんな別れをしたい・・・・と・・・
夢は叶い、第一級無線通信士となり、大型商船で全世界を駆け巡りました。
もうひとつの夢も叶いすぎて、多くの女性と船の別れをしました。 夢が叶いすぎて、いまだに独身・・・・・(=●^0^●=)
夢が叶いすぎるのも・・・・・かんがえもの。

● 赤木圭一郎・インタビュー

昭和14年
0才
東京都港区麻布笄町168番地に、赤塚俊之(歯科医)、喜久の次男として生まれる。本名・赤塚親弘。兄・明、姉・泰子、民枝、妹・百合、久子。
昭和19年
5才
神奈川県藤沢市片瀬海岸に疎開。その後葉山、鎌倉、藤沢と転居。
昭和20年
6才
湘南学園小学校入学。その後逗子市葉山小学校に転校。
昭和26年
12才
栄光学園中学校入学。のちに藤沢市鵠沼中学校に転校。
昭和30年
16才
県立鎌倉高等学校入学。
昭和33年
18才
成城大学文学部入学。
昭和33年
19才
父の俊之氏の知人・日活・高木雅行プロデューサーに薦められ
第4期ニューフェースとして日活入社。
昭和34年
20才
井上梅次監督に赤木圭一郎と命名され狂った脱獄でデビュー。
昭和34年
20才
9月8日、素っ裸の年齢で初主演、注目を浴びる
昭和35年
20才
1月、石原裕次郎小林旭和田浩治
日活ダイヤモンド・ラインを結成。 第三の男と呼ばれる。
昭和35年
20才
2月14日、拳銃無頼帖・抜き射ちの竜で本格主演。
デビー作の黒い霧の町が大ヒット。
昭和35年
20才
4月、横浜・本牧、東京・笹塚の下宿生活を経て、
東京国領の日活・山崎辰夫撮影所長宅離れ家に転居。
俳優杉山俊夫と同居。
昭和35年
20才
7月9日、霧笛が俺を呼んでいるが大ヒット。
トニーの人気を決定的にした。同名の主題歌も大ヒット。
昭和35年
21才
12月、第5回日本映画制作者協会新人賞受賞。
松方弘樹、星由里子、三上真一郎、藤巻潤、
吉田輝雄、川口知子が同時受賞
昭和36年
21才
1月24日、石原裕次郎が、志賀高原スキー場で右足複雑骨折。
急遽、企画中の激流に生きる男の代役に決定。
昭和36年
21才
2月14日、東京麻布の日活撮影所中庭でゴーカート試乗中に、
アクセルとブレーキを踏み間違え大道具倉庫の鉄扉に激突。 慈恵医大付属第三病院に入院。外国製のゴーカートでアクセルとブレーキが逆についていた。
昭和36年
21才
2月21日、午前7時50分。頭蓋内出血で死去。
昭和36年
21才
2月23日、東京杉並の大円寺で日活撮影所所葬。参列者約4000人。戒名・秀善院春海圭文居士。
石原裕次郎 太平洋ひとりぼっち
石原裕次郎
石原裕次郎
石原裕次郎 プライベート
石原裕次郎 太平洋ひとりぼっち
石原裕次郎と夫人
石原裕次郎 波止場ねっと
石原裕次郎 波止場ねっと
石原裕次郎 太平洋ひとりぼっち
石原裕次郎
石原裕次郎
石原裕次郎
石原裕次郎
石原裕次郎
石原裕次郎
石原裕次郎
石原裕次郎